山梨なるほど地場産業見聞録 イメージ
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水晶といえば山梨・・・と言われるほどかつては全国でも有数の産地であった。山梨県が宝飾産業の街として名実共に有名になったのは、今から140年ほど前の文久年間に、御岳昇仙峡で発見された水晶にさかのぼる。
しかし徳川時代までは、水晶の発掘は許されなかったので、世の中へ出た水晶の量は極めて少なく、それだけに人々に珍重されてきた。明治維新になり新政府は、民間に鉱山開発を許可し明治10年頃から激しい発掘が行われるようになった。当時は国内各地から掘り出されたが少量のもので、水晶最大の生産地は山梨の金峰山をとりまく鉱山群であった。藤村紫郎県令は明治9年に甲府城内に勧業試験場を設け、その一部を水晶加工場として技術の講習会を開き、多くの技術者などを養成させた。また新技術の開拓にも熱心で清国(現在の中国)へ技術者を派遣し、新技術を習得させたことで、たちまち甲府市は「水晶の街」として全国的に知れ渡ることとなった。同時に水晶を装飾する貴金属工業の発展も促し、水晶を中心とする研磨工業は、近代工業の主役トランジスタに使われる水晶発振子にまで飛躍することとなる。

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山梨県には、日本で唯一の公立の宝石美術専門学校(山梨県立宝石美術専門学校)がありデザイン、技術両面の人材育成を目的としている。その結果、毎年ジュエリーのスペシャリストを生み出しており、全国のジュエリーの3分の1の生産量を誇る研磨・宝飾の中心産地を築く努力が重ねられ、文字通り日本の宝飾品の中心産地として、ドイツのイーダー・オーベルシュタインと並び、世界にその名を知られている。

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